2008年 08月 11日
ウラジオストックギターフェスティバル最終日 |
最終日は講師陣3人によるコンサート。
その前にフィンケルシュタインの提案で
毎日食事をお世話して下さった食堂の女性陣に感謝の気持ちを表して
ランチのあとに食堂でスペシャルミニコンサートを。
これが結果的にはナイスリハーサルになって
気分上々で会場に乗り込む。
リハでは見た目はとてもステキだが響きが全くない会場のために
凝り性のフィンケルシュタインが反響板の位置、イスの位置をこまかく試す。
控え室が3つしか無く司会の女性と相部屋になるも
iPodに入れた音楽を聴きながら精神を集中させる。
本番はまずフィンケルシュタインから
N.コシュキン、S.ラック、自作の曲を演奏。
巨体を揺らしつつ時に繊細に、時にダイナミックに表現していく秀演。
お次は私の出番。
「ウラジオストックで演奏する初めての日本人ギタリスト、マエストロ タケシ ハシグチ!」
てな感じで呼び込まれて
武満徹のAll in Twilight、ディアンスのタンゴアンスカイ、ソルのエチュードOp.6-11を演奏。
客席からの「どんな演奏をするんだろうか?」という期待と好奇心をひしひしと感じながらも
集中して演奏を終える。
普段、あまり大きな会場では演奏しないので久々にとても大きな拍手を頂いて感激。
お辞儀の仕方を練習しなくちゃ。
日本では一回お辞儀したら拍手が止まるけれども、何度も何度もお辞儀する経験はあまり無いので。
ソロで一仕事終えた直後はフィンケルシュタインとサプライズなデュオ。
ダウランドが息子と演奏するために書いた
一台の楽器を二人(4手)で演奏するガリアルド。
ジェーニャがウラジオストックに到着して早々、提案してくれたもの。
彼だけが楽器を携えて私は手ぶらで舞台に登場。
私だけが椅子に座り彼は背後から覆いかぶさるように手を楽器に回す。
この時点で見た目は十分におかしい。
会場からはクスクスと笑い声が。
しかしこれは想定済み。練習の段階で「笑い声が消えてからスタートしよう」と打ち合わせしていた通りに落ち着いて始める。
私が主にメロディーを高音弦側で演奏しジェーニャは主に低音側を演奏するように楽譜が書かれているが曲の途中で1小節ごとにエコーで役割を交代するところでは
かなりアクロバティックな手の動きが要求される。
こちらはかなり必死なのにまたも会場から笑い声が。
これは想定外。
難所も無事通過し
毎晩少しずつ練習して来た成果が充分出て
会場は大受け、大喝采。
ジェーニャも「練習も含めて今までの中で一番いい演奏だった」とご満悦。
ここで休憩を挟み
後半は主催者的な韓国人講師、ペ チャングム氏が登場。
ソロでヴァイスやタレガや韓国の作曲家の友人が書いた曲などを情緒たっぷりに演奏。
お次はぺ氏と地元のバイオリニスト(ずっと韓国ーロシアの通訳とばかり思い込んでました)で
ピアソラのタンゴの歴史より3曲。
そして講師陣3人でピアソラの曲を。
毎晩アンサンブルのレッスンが終了してフラフラになったぺ氏を待って
細部まで徹底的にこだわるジェーニャが綿密に組み立てた曲想で
前半こそ走りすぎた面があったものの中間部はたっぷり歌い
ダルセーニョしてからは練習通りオトナの演奏。
コンサート全体は大成功で控え室には生徒たちがたくさん押し寄せて
サインくれ、写真一緒に写ってくれ、ともみくちゃ。
興奮覚めやらないまま、空腹のお腹を抱えて宿舎に戻って
遅いながらもいつも通りのメニューで夕食。
ソフィアのご主人、ミカエルがタラバガニを食べてて、いいなあ,という視線を投げ掛けたら
全部くれてラッキー!
ジェーニャや廻りに勧めてもみんな「ノーサンキュー」。
やっぱり見た目がグロテスクだからかな。
唯一、アルトゥールだけが「食べる!」と言ったので仲良く山分け。
大仕事のあとはやはり何かご褒美が無いと。
部屋に戻ったら隣からジェーニャがウォッカの瓶を抱えてやってきて
「これがロシアの乾杯のスタイルだ」
と言ってストレートでぐいっと飲み干す。
「ココはロシアなんだからお前もやれ」
と言われてしょうがなく従う。
「5分後に別の部屋で待ってるぞ」
と言い残して立ち去る。
こんな強い酒をこの調子で飲んでたら危ないなあ
と思いつつも最後の夜なんだし
とどこで酒盛りやっているのか探しに廊下に出たら
ディマと言う生徒がニコニコしてこっちにやってくる。
酒が飲める年齢の生徒なら一緒に誘っていくところが
13歳くらいなので
「今時間ありますか?」と聞かれたら
無い、とも言えず部屋に招く。
それから数時間、ディマの先生夫婦までやってきて質問攻め。
どうも徹夜覚悟で乗り込んで来てるようで
「これが最後の答えだ」
と振り切って
やっとぺ氏の部屋へ行けたのが3時頃。
それから色んなウォッカを少しずつ飲んで生徒たちと話をするも
だんだん酔いが回って来てこれは危ない、と思って
「一回自分の部屋に戻る」
とみんなに言って自室のトイレに直行。
数十分はトイレで寝ていたようです。
トイレと言っても6帖はありそうなキレイなところですよ。
なんとかベッドで寝て翌朝目が覚めたら見事な二日酔い。
窓越しに外を眺めていたら隣の部屋のジェーニャが
「Hi! Takeshi!! Are you fine??」
ファインなんかじゃねえよお
「そんならいつも飲んでる二日酔いにいいクスリ持ってるから」
ってんでクスリをもらってついでにシャワーを浴びるといいとか
オレンジジュースがいいとか色々アドヴァイスをもらう。
彼からは本当に音楽のことのみならず色々勉強させて頂きました(笑)
そんなこんなでヴィクトールが部屋に来てCDの売り上げをくれたり
ポスターは要らんか、ってんで荷物になるから要らんともいえずもらったり
次回のリサイタルのことなど話したりしているうちに
ジェーニャは出発するとのことで「またメールで」と別れの挨拶を。
昼飯の時間になって食堂に行くもイマイチ食欲もわかずパンと水だけにしていたら
「テールのスープが美味しいよ」とチャンウムが言うので
「そう?」とばかり飲んで見ると結構お腹に優しくて元気が出てくる。
あとは三々五々家路につく生徒たちと写真を撮ったりして
「また来年!」
と玄関で見送る。
韓国勢と自分の出発の時間が近づいてきて
別れを惜しみつつ宿舎をあとにする。
Koh氏の運転で空港まで1時間ほど。
やはりウラジオストック空港は国際空港と思えないほどの
簡素な設備で出国審査もとても時間がかかる。
狭い待合室では偶然にも宿舎の支配人、キム女史とお会いし色々お話をさせてもらう。
無事搭乗し二時間ほどでソウル、インチョン空港へ。
一旦韓国への入国審査を受ける。
入国カードへ宿泊地を記入していなかったので質問されるも
今すぐ次の便に乗る、と伝えてあっさり入国。
預けた楽器がなかなか手許に戻らず次のフライトまでの時間がなくてとても焦る。
やっと楽器が戻って来てここでぺ氏はじめ韓国勢とは
アンニョン ヒ カセヨ!とお別れ。
ここから走って出発ロビーまで。
どこで手続きしていいのかわからず
色々な人にききながらギリギリ荷物を預ける。
出国審査を受けて搭乗口まで行くと丁度搭乗案内が始まったところ。
お世話になった皆さんに電話でもしたいなあと思っていたけれど、とても、とても。
福岡までのフライトタイムは55分。
滑走路上で離陸待ちしている時間の方が長いんじゃないか?
と思うくらいで、本日二度目の機内食(ずっと金属の箸だったので木の割り箸が嬉しかった!)を頂いているうちに着陸態勢に。
玄界灘に浮かぶイカ釣り漁船の明かりが見え
志賀島上空を過ぎて
東区の街並が見えて来たらホッとしました。
よそでは無愛想でしたが日本の入国審査官はちゃんと「こんばんは」と挨拶してくれて嬉しかったです。
日本人にだけなのかな?
家族と家に戻ってエカテリーナとぺ チャンウム氏に電話をして寝ました。
こうして二週間弱の旅は終わりました。
来年に向けての課題もたくさんありますが
こうして第一回目を成し遂げた関係者の皆さんに敬意を表したいと思います。
See you next time!
その前にフィンケルシュタインの提案で
毎日食事をお世話して下さった食堂の女性陣に感謝の気持ちを表して
ランチのあとに食堂でスペシャルミニコンサートを。
これが結果的にはナイスリハーサルになって
気分上々で会場に乗り込む。
リハでは見た目はとてもステキだが響きが全くない会場のために
凝り性のフィンケルシュタインが反響板の位置、イスの位置をこまかく試す。
控え室が3つしか無く司会の女性と相部屋になるも
iPodに入れた音楽を聴きながら精神を集中させる。
本番はまずフィンケルシュタインから
N.コシュキン、S.ラック、自作の曲を演奏。
巨体を揺らしつつ時に繊細に、時にダイナミックに表現していく秀演。
お次は私の出番。
「ウラジオストックで演奏する初めての日本人ギタリスト、マエストロ タケシ ハシグチ!」
てな感じで呼び込まれて
武満徹のAll in Twilight、ディアンスのタンゴアンスカイ、ソルのエチュードOp.6-11を演奏。
客席からの「どんな演奏をするんだろうか?」という期待と好奇心をひしひしと感じながらも
集中して演奏を終える。
普段、あまり大きな会場では演奏しないので久々にとても大きな拍手を頂いて感激。
お辞儀の仕方を練習しなくちゃ。
日本では一回お辞儀したら拍手が止まるけれども、何度も何度もお辞儀する経験はあまり無いので。
ソロで一仕事終えた直後はフィンケルシュタインとサプライズなデュオ。
ダウランドが息子と演奏するために書いた
一台の楽器を二人(4手)で演奏するガリアルド。
ジェーニャがウラジオストックに到着して早々、提案してくれたもの。
彼だけが楽器を携えて私は手ぶらで舞台に登場。
私だけが椅子に座り彼は背後から覆いかぶさるように手を楽器に回す。
この時点で見た目は十分におかしい。
会場からはクスクスと笑い声が。
しかしこれは想定済み。練習の段階で「笑い声が消えてからスタートしよう」と打ち合わせしていた通りに落ち着いて始める。
私が主にメロディーを高音弦側で演奏しジェーニャは主に低音側を演奏するように楽譜が書かれているが曲の途中で1小節ごとにエコーで役割を交代するところでは
かなりアクロバティックな手の動きが要求される。
こちらはかなり必死なのにまたも会場から笑い声が。
これは想定外。
難所も無事通過し
毎晩少しずつ練習して来た成果が充分出て
会場は大受け、大喝采。
ジェーニャも「練習も含めて今までの中で一番いい演奏だった」とご満悦。
ここで休憩を挟み
後半は主催者的な韓国人講師、ペ チャングム氏が登場。
ソロでヴァイスやタレガや韓国の作曲家の友人が書いた曲などを情緒たっぷりに演奏。
お次はぺ氏と地元のバイオリニスト(ずっと韓国ーロシアの通訳とばかり思い込んでました)で
ピアソラのタンゴの歴史より3曲。
そして講師陣3人でピアソラの曲を。
毎晩アンサンブルのレッスンが終了してフラフラになったぺ氏を待って
細部まで徹底的にこだわるジェーニャが綿密に組み立てた曲想で
前半こそ走りすぎた面があったものの中間部はたっぷり歌い
ダルセーニョしてからは練習通りオトナの演奏。
コンサート全体は大成功で控え室には生徒たちがたくさん押し寄せて
サインくれ、写真一緒に写ってくれ、ともみくちゃ。
興奮覚めやらないまま、空腹のお腹を抱えて宿舎に戻って
遅いながらもいつも通りのメニューで夕食。
ソフィアのご主人、ミカエルがタラバガニを食べてて、いいなあ,という視線を投げ掛けたら
全部くれてラッキー!
ジェーニャや廻りに勧めてもみんな「ノーサンキュー」。
やっぱり見た目がグロテスクだからかな。
唯一、アルトゥールだけが「食べる!」と言ったので仲良く山分け。
大仕事のあとはやはり何かご褒美が無いと。
部屋に戻ったら隣からジェーニャがウォッカの瓶を抱えてやってきて
「これがロシアの乾杯のスタイルだ」
と言ってストレートでぐいっと飲み干す。
「ココはロシアなんだからお前もやれ」
と言われてしょうがなく従う。
「5分後に別の部屋で待ってるぞ」
と言い残して立ち去る。
こんな強い酒をこの調子で飲んでたら危ないなあ
と思いつつも最後の夜なんだし
とどこで酒盛りやっているのか探しに廊下に出たら
ディマと言う生徒がニコニコしてこっちにやってくる。
酒が飲める年齢の生徒なら一緒に誘っていくところが
13歳くらいなので
「今時間ありますか?」と聞かれたら
無い、とも言えず部屋に招く。
それから数時間、ディマの先生夫婦までやってきて質問攻め。
どうも徹夜覚悟で乗り込んで来てるようで
「これが最後の答えだ」
と振り切って
やっとぺ氏の部屋へ行けたのが3時頃。
それから色んなウォッカを少しずつ飲んで生徒たちと話をするも
だんだん酔いが回って来てこれは危ない、と思って
「一回自分の部屋に戻る」
とみんなに言って自室のトイレに直行。
数十分はトイレで寝ていたようです。
トイレと言っても6帖はありそうなキレイなところですよ。
なんとかベッドで寝て翌朝目が覚めたら見事な二日酔い。
窓越しに外を眺めていたら隣の部屋のジェーニャが
「Hi! Takeshi!! Are you fine??」
ファインなんかじゃねえよお
「そんならいつも飲んでる二日酔いにいいクスリ持ってるから」
ってんでクスリをもらってついでにシャワーを浴びるといいとか
オレンジジュースがいいとか色々アドヴァイスをもらう。
彼からは本当に音楽のことのみならず色々勉強させて頂きました(笑)
そんなこんなでヴィクトールが部屋に来てCDの売り上げをくれたり
ポスターは要らんか、ってんで荷物になるから要らんともいえずもらったり
次回のリサイタルのことなど話したりしているうちに
ジェーニャは出発するとのことで「またメールで」と別れの挨拶を。
昼飯の時間になって食堂に行くもイマイチ食欲もわかずパンと水だけにしていたら
「テールのスープが美味しいよ」とチャンウムが言うので
「そう?」とばかり飲んで見ると結構お腹に優しくて元気が出てくる。
あとは三々五々家路につく生徒たちと写真を撮ったりして
「また来年!」
と玄関で見送る。
韓国勢と自分の出発の時間が近づいてきて
別れを惜しみつつ宿舎をあとにする。
Koh氏の運転で空港まで1時間ほど。
やはりウラジオストック空港は国際空港と思えないほどの
簡素な設備で出国審査もとても時間がかかる。
狭い待合室では偶然にも宿舎の支配人、キム女史とお会いし色々お話をさせてもらう。
無事搭乗し二時間ほどでソウル、インチョン空港へ。
一旦韓国への入国審査を受ける。
入国カードへ宿泊地を記入していなかったので質問されるも
今すぐ次の便に乗る、と伝えてあっさり入国。
預けた楽器がなかなか手許に戻らず次のフライトまでの時間がなくてとても焦る。
やっと楽器が戻って来てここでぺ氏はじめ韓国勢とは
アンニョン ヒ カセヨ!とお別れ。
ここから走って出発ロビーまで。
どこで手続きしていいのかわからず
色々な人にききながらギリギリ荷物を預ける。
出国審査を受けて搭乗口まで行くと丁度搭乗案内が始まったところ。
お世話になった皆さんに電話でもしたいなあと思っていたけれど、とても、とても。
福岡までのフライトタイムは55分。
滑走路上で離陸待ちしている時間の方が長いんじゃないか?
と思うくらいで、本日二度目の機内食(ずっと金属の箸だったので木の割り箸が嬉しかった!)を頂いているうちに着陸態勢に。
玄界灘に浮かぶイカ釣り漁船の明かりが見え
志賀島上空を過ぎて
東区の街並が見えて来たらホッとしました。
よそでは無愛想でしたが日本の入国審査官はちゃんと「こんばんは」と挨拶してくれて嬉しかったです。
日本人にだけなのかな?
家族と家に戻ってエカテリーナとぺ チャンウム氏に電話をして寝ました。
こうして二週間弱の旅は終わりました。
来年に向けての課題もたくさんありますが
こうして第一回目を成し遂げた関係者の皆さんに敬意を表したいと思います。
See you next time!
by studiog
| 2008-08-11 00:44
| 音楽